2007年11月17日
宝島日記 (七)
昼になり、民宿のご夫婦と娘さんと港に向かう。

フェリーとしまが入港してきた。
この船に乗るのもこれが八回目となる。

民宿の奥さんに別れを告げ、船に乗り込む。
20日間過ごした十島村を離れるわけだが、寂しさはない。かと言って嬉しいわけでもない。
しかし、心の中にはなぜか清涼感が漂っていた。

フェリーに乗ってから港を振り返る。
このとき、旅の別れは、また新しい楽しい旅の幕開けなのだ、と感じたものであった。
十二時半過ぎに船は宝島を出港した。
しばらくデッキに出ていて、宝島を眺めていた。

これから船は奄美大島の名瀬港に向かう。

いつものように二等の雑魚寝で横になっていると、奄美に近くなってきたのか、携帯電話のバイブが鳴った。
私が使っているauの携帯電話は、トカラ列島では一切通じなかったのである。
久々に現代文明に触れた瞬間でもあった。

船に揺られ、午後三時半頃、名瀬に着いた。
トカラの風に吹かれて漂った20日間、不便で楽しい島々からの帰還である。
着いた名瀬には、小雨が降っていたのであった。
フェリーとしまが入港してきた。
この船に乗るのもこれが八回目となる。
民宿の奥さんに別れを告げ、船に乗り込む。
20日間過ごした十島村を離れるわけだが、寂しさはない。かと言って嬉しいわけでもない。
しかし、心の中にはなぜか清涼感が漂っていた。
フェリーに乗ってから港を振り返る。
このとき、旅の別れは、また新しい楽しい旅の幕開けなのだ、と感じたものであった。
十二時半過ぎに船は宝島を出港した。
しばらくデッキに出ていて、宝島を眺めていた。
これから船は奄美大島の名瀬港に向かう。
いつものように二等の雑魚寝で横になっていると、奄美に近くなってきたのか、携帯電話のバイブが鳴った。
私が使っているauの携帯電話は、トカラ列島では一切通じなかったのである。
久々に現代文明に触れた瞬間でもあった。
船に揺られ、午後三時半頃、名瀬に着いた。
トカラの風に吹かれて漂った20日間、不便で楽しい島々からの帰還である。
着いた名瀬には、小雨が降っていたのであった。
2007年11月15日
宝島日記 (六)
6 月19日、この日は宝島を去る日である。
20日間ほどいた吐噶喇列島、つまり十島村を去る日でもある。
朝食を食べてから、バイクを借りて、少しだけ島の一部をまわってみた。
前日まわれなかった、大籠海水浴場などを見るためである。
この日は天気が良い。

大籠海水浴場は隆起珊瑚礁の入り江であり、白い砂と天気が良ければ海の色が非常に美しい。
大籠海水浴場から少し走り、海岸を眺めてみる。

この辺りは、白い砂の砂地でもある。
同じ隆起珊瑚礁の小宝島に比べると、宝島には白い砂が多いのだ。
民宿に帰ってからフェリーとしまの入港を待つ。
民宿のご夫婦と喋っていると、子猫が私のひざに乗ってきて眠りはじめた。




眠っている子猫はなかなか起きようとはしなかったのであった。
20日間ほどいた吐噶喇列島、つまり十島村を去る日でもある。
朝食を食べてから、バイクを借りて、少しだけ島の一部をまわってみた。
前日まわれなかった、大籠海水浴場などを見るためである。
この日は天気が良い。
大籠海水浴場は隆起珊瑚礁の入り江であり、白い砂と天気が良ければ海の色が非常に美しい。
大籠海水浴場から少し走り、海岸を眺めてみる。
この辺りは、白い砂の砂地でもある。
同じ隆起珊瑚礁の小宝島に比べると、宝島には白い砂が多いのだ。
民宿に帰ってからフェリーとしまの入港を待つ。
民宿のご夫婦と喋っていると、子猫が私のひざに乗ってきて眠りはじめた。
眠っている子猫はなかなか起きようとはしなかったのであった。
2007年11月13日
宝島日記 (五)
夕方、港から帰るときに道で、トカラハブと初めて遭遇した。
体の色は、薄い茶色である。

携帯電話で写真を撮ろうとすると、とぐろを巻いて威嚇してきた。
毒素は低いものの、さすがに性格はハブらしく獰猛であるようだ。
トカラハブは毒素が低いため、咬まれても死ぬことはないらしいが、民宿のおばあさんは、宝島の人で糖尿病を患っていた人が、以前咬まれて死んだことがあると話してくれた。
まあ、茂みなどを歩くときなどには気をつけたほうがいいだろう。
民宿に帰って夕飯を焼酎を飲みながらいただく。

この日は、民宿のご主人がジンガサと呼ばれるオオツタノハガイを獲ってきてくれて、夕食のときに振舞ってくれたのである。


ジンガサは、茹でられたものと、焼いたものを出してくれた。
歯ごたえがよく、味もなかなかのものであり、思わぬ海の幸に酒がすすんでいったのであった。
体の色は、薄い茶色である。
携帯電話で写真を撮ろうとすると、とぐろを巻いて威嚇してきた。
毒素は低いものの、さすがに性格はハブらしく獰猛であるようだ。
トカラハブは毒素が低いため、咬まれても死ぬことはないらしいが、民宿のおばあさんは、宝島の人で糖尿病を患っていた人が、以前咬まれて死んだことがあると話してくれた。
まあ、茂みなどを歩くときなどには気をつけたほうがいいだろう。
民宿に帰って夕飯を焼酎を飲みながらいただく。
この日は、民宿のご主人がジンガサと呼ばれるオオツタノハガイを獲ってきてくれて、夕食のときに振舞ってくれたのである。
ジンガサは、茹でられたものと、焼いたものを出してくれた。
歯ごたえがよく、味もなかなかのものであり、思わぬ海の幸に酒がすすんでいったのであった。
2007年11月11日
宝島日記 (四)
次の日は朝から晴れていた。
しかし、自転車は本格的にパンクし、チューブにも穴があいていたのである。
すると、民宿のご主人が「ゴリラでよかったら乗ってってください」と、バイクを貸してくれたのである。

これは非常にありがたい。
さっそくバイクに乗って、島をまわってみる。

まずは、島の最高峰であるイマキラ岳。
高さは二百メートルちょっとだっただろうか。


島の半分以上がここから一望できるのである。
宝島は、同じ隆起珊瑚礁の島である小宝島に比べ、緑が豊富である。
前日に降った雨の影響か、道には水が溢れていた。
島の端にある荒木崎。

柵を開けて途中まで行ってみたが、たくさんの牛に阻まれてしまった。
そのまま島を一周し、ついでにまた大間泊まで行ってみる。
白い大地と海が美しい。


昼に帰ってくると、いっしょに泊まっていた工事関係者の人二人が釣りに行くというので連れていってもらった。
この時も、民宿のご主人は釣竿とワーム(ルアー、疑似餌)を貸してくれたのである。

大間泊で、隆起珊瑚礁の間にワームを落としてアタリを待つ。

この隆起珊瑚礁の割れ目であるが、かなり深い。
深さは数メートルもあり、侵食によってかなり海の中は広がっているのだ。
ワームが食いちぎられたりと、アタリはあるのだがけっきょく釣り上げることはできなかった。
すると、また雨が降り出してきた。
二日続けて雨にやられることになった。
また民宿に戻ることにする。
夕方、港に行って釣り糸を垂らすとミノカサゴが釣れた。

しかし、小さいので放すことに。
ミノカサゴは毒があるので、素手で触ってはいけない。
そんなことをしていると、通りがかった民宿のご主人が「晩飯にしましょう」と声をかけてくれたので、民宿に戻ることにした。
しかし、自転車は本格的にパンクし、チューブにも穴があいていたのである。
すると、民宿のご主人が「ゴリラでよかったら乗ってってください」と、バイクを貸してくれたのである。
これは非常にありがたい。
さっそくバイクに乗って、島をまわってみる。
まずは、島の最高峰であるイマキラ岳。
高さは二百メートルちょっとだっただろうか。
島の半分以上がここから一望できるのである。
宝島は、同じ隆起珊瑚礁の島である小宝島に比べ、緑が豊富である。
前日に降った雨の影響か、道には水が溢れていた。
島の端にある荒木崎。
柵を開けて途中まで行ってみたが、たくさんの牛に阻まれてしまった。
そのまま島を一周し、ついでにまた大間泊まで行ってみる。
白い大地と海が美しい。
昼に帰ってくると、いっしょに泊まっていた工事関係者の人二人が釣りに行くというので連れていってもらった。
この時も、民宿のご主人は釣竿とワーム(ルアー、疑似餌)を貸してくれたのである。
大間泊で、隆起珊瑚礁の間にワームを落としてアタリを待つ。
この隆起珊瑚礁の割れ目であるが、かなり深い。
深さは数メートルもあり、侵食によってかなり海の中は広がっているのだ。
ワームが食いちぎられたりと、アタリはあるのだがけっきょく釣り上げることはできなかった。
すると、また雨が降り出してきた。
二日続けて雨にやられることになった。
また民宿に戻ることにする。
夕方、港に行って釣り糸を垂らすとミノカサゴが釣れた。
しかし、小さいので放すことに。
ミノカサゴは毒があるので、素手で触ってはいけない。
そんなことをしていると、通りがかった民宿のご主人が「晩飯にしましょう」と声をかけてくれたので、民宿に戻ることにした。
2007年11月09日
宝島日記 (三)
宝島は隆起珊瑚礁の島である。
この島にもトカラハブは生息しているのだが、隆起珊瑚礁の石垣は僅かに残されていた。

宝島での二日目、天気はあまり良くないが、自転車で出かけることにした。
まず、集落から女神山などを抜けて、観音洞と呼ばれる大鍾乳洞に行く。

赤い鳥居をくぐって、階段を少し登ると鍾乳洞の入り口である。

天気も良くないのであたりは暗い。
ガジュマルの根も不気味に垂れ下がっている。

宝島にはいくつか鍾乳洞があるらしいのだが、ここが最大の規模のものらしい。

しかし、なんとなく怖い雰囲気がしたのである。
鍾乳洞の入り口付近には、観音堂があり、観音様が祀られている。


そして、さらに牧場などを横目に坂を下ってゆくと、大間泊に出る。

隆起珊瑚礁の、比較的平坦に見える浜である。

ここには自然の地形を生かした、簡単な港もある。



ウワサで、このあたりにも温泉らしきものが湧いている、という未確認情報があったので探してみるが、それらしきものはまったく見つからない。
そのうちに、とうとう雨が降り出してきた。

アダンの林の下に潜り込んで雨宿りをするが、さすがにアダンでは雨宿りにならない。

まったく止みそうにないので、仕方なく雨の中帰ることにした。
しかし、帰り道で自転車がパンクしてしまった。
雨といい、パンクといい、あまりついていない。

なんとか支所まで帰ってきて、缶コーヒーを買って飲んでいた。
すると雨の中、子供が二人駆けてきて、私の前に座った。

学校では、何か楽器の練習をしているらしい。
この二人はそんなことを無邪気に話していたのであった。
この島にもトカラハブは生息しているのだが、隆起珊瑚礁の石垣は僅かに残されていた。
宝島での二日目、天気はあまり良くないが、自転車で出かけることにした。
まず、集落から女神山などを抜けて、観音洞と呼ばれる大鍾乳洞に行く。
赤い鳥居をくぐって、階段を少し登ると鍾乳洞の入り口である。
天気も良くないのであたりは暗い。
ガジュマルの根も不気味に垂れ下がっている。
宝島にはいくつか鍾乳洞があるらしいのだが、ここが最大の規模のものらしい。
しかし、なんとなく怖い雰囲気がしたのである。
鍾乳洞の入り口付近には、観音堂があり、観音様が祀られている。
そして、さらに牧場などを横目に坂を下ってゆくと、大間泊に出る。
隆起珊瑚礁の、比較的平坦に見える浜である。
ここには自然の地形を生かした、簡単な港もある。
ウワサで、このあたりにも温泉らしきものが湧いている、という未確認情報があったので探してみるが、それらしきものはまったく見つからない。
そのうちに、とうとう雨が降り出してきた。
アダンの林の下に潜り込んで雨宿りをするが、さすがにアダンでは雨宿りにならない。
まったく止みそうにないので、仕方なく雨の中帰ることにした。
しかし、帰り道で自転車がパンクしてしまった。
雨といい、パンクといい、あまりついていない。
なんとか支所まで帰ってきて、缶コーヒーを買って飲んでいた。
すると雨の中、子供が二人駆けてきて、私の前に座った。
学校では、何か楽器の練習をしているらしい。
この二人はそんなことを無邪気に話していたのであった。
2007年11月07日
宝島日記 (二)
宝島にある温泉施設は、「宝島友の花温泉保養センター」である。
ここも、開いているのは、火、木、土曜日だけである。
たまたま、宝島についた日は開いていたので、入ることができたのであった。
浴槽は広めのものが一つ。

そこへ、加温された源泉がかけ流し。
私が入ったときは適温で気持ちが良かった。

泉質は、29度のナトリウムー塩化物強塩温泉であり、浴槽では茶色く濁っている。
強塩温泉だけあって、舐めるとしょっぱい。
よく温まる温泉であった。
たまたま、宝島についた日は開いていたので、入ることができたのであった。
浴槽は広めのものが一つ。
そこへ、加温された源泉がかけ流し。
私が入ったときは適温で気持ちが良かった。
泉質は、29度のナトリウムー塩化物強塩温泉であり、浴槽では茶色く濁っている。
強塩温泉だけあって、舐めるとしょっぱい。
よく温まる温泉であった。
2007年11月05日
宝島日記 (一)
小宝島から、宝島まではフェリーとしまで一時間もかからない。
船酔いをよくする私でも、椅子に座ったままで酔うこともなく過ごすことができた。

宝島では、民宿浜坂荘にお世話になる。

ここは感じのいい若夫婦(と言っても子供が四人もいて、一番上の子は高校生らしい)が、運営されていて、部屋も料理も小奇麗なのである。小宝島の湯泊荘のおばあちゃんも、ここはいい、と教えてくれたのだ。

そのおばあちゃんには、宝島のある人に渡してほしい、と現金を預かっていたので届けることにした。
港を見ると、沖にフェリーとしまが停まっている。

この便は、奄美大島の名瀬まで行かず、宝島で折り返す便であり、次の日にまたトカラの島々をまわって鹿児島に向かうのである。
小宝島出港のときに振り出した雨は、ずっと降り続いている。
雨だと、どこにも行けないので、廊下に寝ていた猫と遊んで時間を過ごすことにした。


宝島も、小宝島と同じ隆起珊瑚礁の島である。
もちろん小宝島よりも大きく、そして標高もあり森もけっこう深い。
この宝島は、スティーブンスンの小説「宝島」のモデルとなった島として有名でもある。
島内には、海賊キャプテンキッドが財宝を隠したという鍾乳洞があるとも伝えられているのだ。
集落は港から続く、イギリス坂を中心に集中している。

このイギリス坂だが、その名前の由来は、江戸時代後期の文政七年に、イギリス船数隻が島に来て、在藩官所へ発砲し、略奪と牛の殺傷をしたため、薩摩藩から出張中の武士がこれに応戦し撃退したことによるもの。
これは幕府が打ち出した、異国船打払令発布の要因ともなった事件とも言われる。
そのイギリス坂を上がってゆくと、集落の中心となり学校もある。
そして、商店もあるのだが、ここの商店は品揃えが他の島に比べてかなり豊富であり、この島では食料品などにあまり不自由はしない。
そこで、焼酎と久しぶりのサッポロビールを買って飲み干す。

その横を、島の子供たちが元気に駆けていった。

船酔いをよくする私でも、椅子に座ったままで酔うこともなく過ごすことができた。
宝島では、民宿浜坂荘にお世話になる。
ここは感じのいい若夫婦(と言っても子供が四人もいて、一番上の子は高校生らしい)が、運営されていて、部屋も料理も小奇麗なのである。小宝島の湯泊荘のおばあちゃんも、ここはいい、と教えてくれたのだ。
そのおばあちゃんには、宝島のある人に渡してほしい、と現金を預かっていたので届けることにした。
港を見ると、沖にフェリーとしまが停まっている。
この便は、奄美大島の名瀬まで行かず、宝島で折り返す便であり、次の日にまたトカラの島々をまわって鹿児島に向かうのである。
小宝島出港のときに振り出した雨は、ずっと降り続いている。
雨だと、どこにも行けないので、廊下に寝ていた猫と遊んで時間を過ごすことにした。
宝島も、小宝島と同じ隆起珊瑚礁の島である。
もちろん小宝島よりも大きく、そして標高もあり森もけっこう深い。
この宝島は、スティーブンスンの小説「宝島」のモデルとなった島として有名でもある。
島内には、海賊キャプテンキッドが財宝を隠したという鍾乳洞があるとも伝えられているのだ。
集落は港から続く、イギリス坂を中心に集中している。
このイギリス坂だが、その名前の由来は、江戸時代後期の文政七年に、イギリス船数隻が島に来て、在藩官所へ発砲し、略奪と牛の殺傷をしたため、薩摩藩から出張中の武士がこれに応戦し撃退したことによるもの。
これは幕府が打ち出した、異国船打払令発布の要因ともなった事件とも言われる。
そのイギリス坂を上がってゆくと、集落の中心となり学校もある。
そこで、焼酎と久しぶりのサッポロビールを買って飲み干す。
その横を、島の子供たちが元気に駆けていった。
2007年11月04日
トカラ列島の温泉について
かなりの手抜きではあるが、トカラ列島の温泉については、兄弟版ブログ『漂泊記』のカテゴリ「温泉」を覗いていただくことにしよう。
(写真は小宝島の野湯、マショ温泉)
※少しだけ、更新しました。下の温泉名をクリックしてください。
【口之島】
・さとのゆ温泉
・セランマ温泉保養センター
・戸尻海岸の野湯ほか
【中之島】
・天泊温泉ほか
・西区温泉 東区温泉
・西区近くの源泉
【平島】
・あかひげ温泉
【諏訪之瀬島】
【悪石島】
・砂蒸し風呂 海中温泉 湯泊温泉
【小宝島】
・マショの温泉
・湯泊温泉
・道端の温泉 小宝島温泉センター
【宝島】
・友の花温泉保養センター
・さとのゆ温泉
・セランマ温泉保養センター
・戸尻海岸の野湯ほか
【中之島】
・天泊温泉ほか
・西区温泉 東区温泉
・西区近くの源泉
【平島】
・あかひげ温泉
【諏訪之瀬島】
【悪石島】
・砂蒸し風呂 海中温泉 湯泊温泉
【小宝島】
・マショの温泉
・湯泊温泉
・道端の温泉 小宝島温泉センター
【宝島】
・友の花温泉保養センター
2007年11月03日
小宝島日記 (十二)
昼寝から起きると、この日はマショの温泉を掃除しに行った。

まず、一番下の湯船から湯を汲みだす。

この一番下の湯船には巨大な石が転がり込んでいるが、これは台風のときに入ってきたものらしい。
そして、砂や、小石もかなり流れ込んでいるため、これらのものも掻き出す。
もちろん湯船はタワシで擦ってきれいにするが、けっこう広い湯船なので大変なのである。
さらに、二番目の湯船も掃除する。
スコップなどは持ってきていなかったので、完全に砂や小石を掻き出すことはできなかったが、かなりきれいになった。
掃除が終わると、自然に湯が張られるので、道端の温泉に入りにゆく。
ここは前日に掃除し、新しい湯を張ったため、気持ちがいい。

この日の晩ご飯は、「ありあわせのものだよ」とおばあちゃんは言っていたが、出てきたのは厚さ三センチほどの豪快な奄美の皮付き黒豚の三枚肉など、美味しいものばかりであった。


次の日、とうとう四泊していた小宝島を後にする。
朝からマショの温泉に入りに行くが、きれいになっていてここも気持ちが良い。
帰ってくると、おばあちゃんが、「何か食べていきなさい」と言ってご飯をサービスで出してくれた。これはありがたい。

「湯泊荘」は一泊三食付で六千円。どこの島でもそうだが、特にここは自家製豆腐をはじめ、食事のボリュームはたっぷりである。
見送ってくれるおばあちゃんとは民宿で別れ、港へ向かう。
港に着くと雨が降ってきた。
またフェリーとしまに乗り、今度は宝島に向かう。
まず、一番下の湯船から湯を汲みだす。
この一番下の湯船には巨大な石が転がり込んでいるが、これは台風のときに入ってきたものらしい。
そして、砂や、小石もかなり流れ込んでいるため、これらのものも掻き出す。
もちろん湯船はタワシで擦ってきれいにするが、けっこう広い湯船なので大変なのである。
さらに、二番目の湯船も掃除する。
スコップなどは持ってきていなかったので、完全に砂や小石を掻き出すことはできなかったが、かなりきれいになった。
掃除が終わると、自然に湯が張られるので、道端の温泉に入りにゆく。
ここは前日に掃除し、新しい湯を張ったため、気持ちがいい。
この日の晩ご飯は、「ありあわせのものだよ」とおばあちゃんは言っていたが、出てきたのは厚さ三センチほどの豪快な奄美の皮付き黒豚の三枚肉など、美味しいものばかりであった。
次の日、とうとう四泊していた小宝島を後にする。
朝からマショの温泉に入りに行くが、きれいになっていてここも気持ちが良い。
帰ってくると、おばあちゃんが、「何か食べていきなさい」と言ってご飯をサービスで出してくれた。これはありがたい。
「湯泊荘」は一泊三食付で六千円。どこの島でもそうだが、特にここは自家製豆腐をはじめ、食事のボリュームはたっぷりである。
見送ってくれるおばあちゃんとは民宿で別れ、港へ向かう。
港に着くと雨が降ってきた。
2007年11月01日
小宝島日記 (十一)
この日は朝食を食べたあと、島の最高峰である「竹ん山」に登山することにした。

「最高峰に登山」というと、かなりの山登りのように聞こえるが、実は標高103メートルの小さな山であるのだ。
しかし、上り口がよくわからない。

どうやら薮で隠れてしまっていたようである。
琉球竹の筍が飛び出す山道を、ひたすら登ってゆく。

トカラの他の島々でもそうであったが、琉球竹を数年もほってほくと道がなくなってしまうだろう。
たまに道の整備も必要であるようだ。
上のほうまで登ると、比較的平坦になってゆく。
そして、そこには大きな貯水池があるのだ。
この貯水池は以前は島民も利用していたらしいが、現在は牛の飲み水として使用されているらしい。
そのままさらに薮の中の細い道をを抜けていくと、島の最高地点に達する。
この辺りからは、島をよく眺めることができるのである。
おばあちゃんからは、「身を乗り出しすぎて落ちたらいけないよ」と注意されていたが、本当に落ちそうでもある。




様々な奇岩、隆起珊瑚礁、集落、小島などがよく見えていて眺めはいい。
帰ってくると、おばあちゃんがうどんを作ってくれていた。

細めの麺に、豪快に皮付き黒豚の三枚肉が乗っていて美味い。
この日は午後から昼寝をすることにしたのであった。
「最高峰に登山」というと、かなりの山登りのように聞こえるが、実は標高103メートルの小さな山であるのだ。
しかし、上り口がよくわからない。
どうやら薮で隠れてしまっていたようである。
琉球竹の筍が飛び出す山道を、ひたすら登ってゆく。
トカラの他の島々でもそうであったが、琉球竹を数年もほってほくと道がなくなってしまうだろう。
たまに道の整備も必要であるようだ。
上のほうまで登ると、比較的平坦になってゆく。
そして、そこには大きな貯水池があるのだ。
この貯水池は以前は島民も利用していたらしいが、現在は牛の飲み水として使用されているらしい。
そのままさらに薮の中の細い道をを抜けていくと、島の最高地点に達する。
この辺りからは、島をよく眺めることができるのである。
おばあちゃんからは、「身を乗り出しすぎて落ちたらいけないよ」と注意されていたが、本当に落ちそうでもある。
様々な奇岩、隆起珊瑚礁、集落、小島などがよく見えていて眺めはいい。
帰ってくると、おばあちゃんがうどんを作ってくれていた。
細めの麺に、豪快に皮付き黒豚の三枚肉が乗っていて美味い。
この日は午後から昼寝をすることにしたのであった。
